こんばんは、三年生の朝倉です。
最初で最後のブログとなるかもしれないので、書けるだけ書きます。
あ、個人戦については長くなるのでおそらく書かないです。
僕がこの部活に入った理由は高校三年のとき、高校最後の大会に参加することができず、将棋に未練が残っていたからです。しかし・・・入ってみると部活は休部しておりオンラインで活動していました。まぁ、コロナ禍だと仕方ないかと思いながら、活動再開できることを楽しみにオンラインに参加しました。
いや、そもそも大学に行けず家でやることがなく暇だっただけなんですが・・・
まあまあ細かいことは置いといて、ちょっとずつ振り返りますか。
まず、入ってからですが皆さん強すぎましたね。田舎の高校にいたというのもありますが、当時二段で部活でトップいたんですが、大学入って力不足を痛感しました。というか同期の徳永くんといい中村くんといい強すぎるのよ。なんや元奨と近畿経験者って。(のちに紹介する宮武くんもそうですが・・・)部室で指せるようになってからも特にこの二人には勝てなかったですね。この時点で心が折れなかった僕を誰か誉めてほしい。あ、部室でカタンとか麻雀で遊ぶのは楽しかったです。
こんな風に同期に恵まれた僕ですが、力不足を痛感する出来事パート2がありました。それは団体戦です。最初参加した団体戦では近大はA級に昇級したばっかだったらしく、関西最高峰で戦うことになりました。最初は立命館戦、その次に京大、阪大と戦っていくことになります。まぁ、結果は言うまでもなくぼろ負けやったのですが・・・。いや、今思っても0勝5敗はひどいな。惜しい対局もなかったしなぁ。でも先輩方や同期のおかげでA級残留しました。近大将棋部10数年ぶりの出来事だったそうです。感謝と尊敬しかないです。こんな感じで最初の団体戦は幕を閉じました。
高校で将棋が強いと調子に乗っていた自分を殴りたいですね。
月日は流れ、二回生になり、後輩が入ってくることになるのですが、一番衝撃だったのは大原君ですね。広島にある近大のキャンパスから部活に参加するとは・・・。いや、大会のために毎回新幹線に乗ってくるあたりも正直ドン引きでしたね。ものすごく助かるのだけど、金銭面は大丈夫なのだろうか。未だに思っている。そんな大原君も入ってきたとき四段だというから嫌になる。どんだけ強いねん。住んでいる世界が違うことを認識しました。他にも二人ほど部活に入ってくれ、部活動がより楽しくなりました。(団体戦~ここまでにもう一人めちゃめちゃ強い人も入ってくるのですが割愛。)
さて6月になり二度目の団体戦になるのですが、結果からいうと降格しました。正直立命館、京大、阪大に勝てる見込みは0だったので関西大学戦と同志社大学戦が勝負所でした。二戦とも二日目だったのですが、ここでトラブルがおきました。某T氏が会場間違えて行ってました。オーダー表も持っていたので他で出るわけにも行かず、全員15分の持ち時間が無くなりました。当日ドタキャンもあったりと完全に近大将棋部の準備不足でしたね。よくよく考えるとこのときのオーダーってじゃんけんで決めたんだっけか。今思うとふざけてますね。すみませんでした。まぁ、個人的にはA級初勝利&1勝2敗とそこそこだったのでよしとします。秋にはA級復帰することを誓い、団体戦は幕を閉じました。
9月ごろになり宮武くんが入部しました。同学年なのですが、近高で中村くんと一緒に近畿大会出ているすごい人です。いや、結局君も強いんかい。このころには強くなってきていた僕ですが、まだまだ彼らには敵わないので泣きたくなります。あ、個人戦について書かないと言いましたが、これだけ。この年の新人戦・清流戦は近大全員予選突破し、決勝トーナメントに参加しました。本当に素晴らしいことです。素晴らしいことなのですが・・・なんと決勝トーナメント一回戦で中村くんと当たることになりました。なんでやねん。え、せっかく予選突破したのに身内にやられるんかい。手も足も出ることなく敗北しました。はい、これだけです。
さあ気を取り直して、秋季団体戦です。前述にもありますが、A級から落ちたのでB級です。宮武君が入ったことにより大幅な戦力アップとなり、他大学からもB級の優勝候補とされていました。最初の5戦は7-0,6-1,6-1,6-1,6-1となりました。色々思うところはありますが、強すぎますね。あ、B級の初の黒星は僕でした。泣きたくなりましたね、はい。これ以上迷惑をかけれないので、残りは勝つぞと思い、個人成績3勝1敗に落ち着いたのでまあ、よし。さぁ、残り二戦となります。僕は出させてもらえず、悔しい思いでチームメイトに思いを託すことになりました。結果からいうと龍谷大学戦で2-5と惨敗しました。やっぱり手ごわかったですね。僕はその場で戦えない力不足とチームが負けた悔しさで胸がいっぱいになりました。神戸大学は昇級の目がないため育成オーダーだったこともありなんとか勝てました。ここでチーム6-1だったのですが、龍谷大学も他の大学に1敗してたこともあり、勝ち数の差でA級に昇級しました。龍谷大学も入れ替え戦で勝ち、A級に昇級してきたのでA級で龍谷大学にリベンジすることを決意し、秋季団体戦は幕を閉じます。
B級で1位となったため第二代表決定戦に出ることになったのですが、京大に当たり、オーダーで厳しい当たりを引くことになりました。特に書くこともないので、結果だけ書きます1-6でした。完敗ですね。しかし、個人的には一回生のときより勝負形に持ち込めていたので成長を実感できたのでよし。
徳永くんは強すぎますね。心から尊敬します。
その後二軍戦に参加しました。3人1組で参加する団体戦なのですが、先輩たちと一緒にB級に参加。二軍戦は参加チームが多いため、持ち時間も短く、対局数も多いです。一軍戦は多くても1日3,4局なのですが、二軍戦は1日に倍の6局ほど。さすがに疲れる。しかし、先輩の一人は10勝1敗、僕が9勝1敗(1不戦敗)と好成績を収め、B級で準優勝することができました大学に入って初めて将棋に自信を持てました。すごく嬉しかったなぁ。あ、ちなみに1不戦敗はTOEICで遅れたのでご容赦を・・・。(ちなみに遅れて向かう途中に某N氏と遭遇したのですが、彼はただの遅刻でした。なにしてんねん。)入賞景品の図書カードを手にし、いい気分で二軍戦の幕は閉じました。
さてまだまだ書きたいことはあるのですが、きりがないので一区切り。
続きは1週間以内に投稿します。
全然最初で最後じゃなかった。許してください。
続く・・・
最初で最後のブログとなるかもしれないので、書けるだけ書きます。
あ、個人戦については長くなるのでおそらく書かないです。
僕がこの部活に入った理由は高校三年のとき、高校最後の大会に参加することができず、将棋に未練が残っていたからです。しかし・・・入ってみると部活は休部しておりオンラインで活動していました。まぁ、コロナ禍だと仕方ないかと思いながら、活動再開できることを楽しみにオンラインに参加しました。
いや、そもそも大学に行けず家でやることがなく暇だっただけなんですが・・・
まあまあ細かいことは置いといて、ちょっとずつ振り返りますか。
まず、入ってからですが皆さん強すぎましたね。田舎の高校にいたというのもありますが、当時二段で部活でトップいたんですが、大学入って力不足を痛感しました。というか同期の徳永くんといい中村くんといい強すぎるのよ。なんや元奨と近畿経験者って。(のちに紹介する宮武くんもそうですが・・・)部室で指せるようになってからも特にこの二人には勝てなかったですね。この時点で心が折れなかった僕を誰か誉めてほしい。あ、部室でカタンとか麻雀で遊ぶのは楽しかったです。
こんな風に同期に恵まれた僕ですが、力不足を痛感する出来事パート2がありました。それは団体戦です。最初参加した団体戦では近大はA級に昇級したばっかだったらしく、関西最高峰で戦うことになりました。最初は立命館戦、その次に京大、阪大と戦っていくことになります。まぁ、結果は言うまでもなくぼろ負けやったのですが・・・。いや、今思っても0勝5敗はひどいな。惜しい対局もなかったしなぁ。でも先輩方や同期のおかげでA級残留しました。近大将棋部10数年ぶりの出来事だったそうです。感謝と尊敬しかないです。こんな感じで最初の団体戦は幕を閉じました。
高校で将棋が強いと調子に乗っていた自分を殴りたいですね。
月日は流れ、二回生になり、後輩が入ってくることになるのですが、一番衝撃だったのは大原君ですね。広島にある近大のキャンパスから部活に参加するとは・・・。いや、大会のために毎回新幹線に乗ってくるあたりも正直ドン引きでしたね。ものすごく助かるのだけど、金銭面は大丈夫なのだろうか。未だに思っている。そんな大原君も入ってきたとき四段だというから嫌になる。どんだけ強いねん。住んでいる世界が違うことを認識しました。他にも二人ほど部活に入ってくれ、部活動がより楽しくなりました。(団体戦~ここまでにもう一人めちゃめちゃ強い人も入ってくるのですが割愛。)
さて6月になり二度目の団体戦になるのですが、結果からいうと降格しました。正直立命館、京大、阪大に勝てる見込みは0だったので関西大学戦と同志社大学戦が勝負所でした。二戦とも二日目だったのですが、ここでトラブルがおきました。某T氏が会場間違えて行ってました。オーダー表も持っていたので他で出るわけにも行かず、全員15分の持ち時間が無くなりました。当日ドタキャンもあったりと完全に近大将棋部の準備不足でしたね。よくよく考えるとこのときのオーダーってじゃんけんで決めたんだっけか。今思うとふざけてますね。すみませんでした。まぁ、個人的にはA級初勝利&1勝2敗とそこそこだったのでよしとします。秋にはA級復帰することを誓い、団体戦は幕を閉じました。
9月ごろになり宮武くんが入部しました。同学年なのですが、近高で中村くんと一緒に近畿大会出ているすごい人です。いや、結局君も強いんかい。このころには強くなってきていた僕ですが、まだまだ彼らには敵わないので泣きたくなります。あ、個人戦について書かないと言いましたが、これだけ。この年の新人戦・清流戦は近大全員予選突破し、決勝トーナメントに参加しました。本当に素晴らしいことです。素晴らしいことなのですが・・・なんと決勝トーナメント一回戦で中村くんと当たることになりました。なんでやねん。え、せっかく予選突破したのに身内にやられるんかい。手も足も出ることなく敗北しました。はい、これだけです。
さあ気を取り直して、秋季団体戦です。前述にもありますが、A級から落ちたのでB級です。宮武君が入ったことにより大幅な戦力アップとなり、他大学からもB級の優勝候補とされていました。最初の5戦は7-0,6-1,6-1,6-1,6-1となりました。色々思うところはありますが、強すぎますね。あ、B級の初の黒星は僕でした。泣きたくなりましたね、はい。これ以上迷惑をかけれないので、残りは勝つぞと思い、個人成績3勝1敗に落ち着いたのでまあ、よし。さぁ、残り二戦となります。僕は出させてもらえず、悔しい思いでチームメイトに思いを託すことになりました。結果からいうと龍谷大学戦で2-5と惨敗しました。やっぱり手ごわかったですね。僕はその場で戦えない力不足とチームが負けた悔しさで胸がいっぱいになりました。神戸大学は昇級の目がないため育成オーダーだったこともありなんとか勝てました。ここでチーム6-1だったのですが、龍谷大学も他の大学に1敗してたこともあり、勝ち数の差でA級に昇級しました。龍谷大学も入れ替え戦で勝ち、A級に昇級してきたのでA級で龍谷大学にリベンジすることを決意し、秋季団体戦は幕を閉じます。
B級で1位となったため第二代表決定戦に出ることになったのですが、京大に当たり、オーダーで厳しい当たりを引くことになりました。特に書くこともないので、結果だけ書きます1-6でした。完敗ですね。しかし、個人的には一回生のときより勝負形に持ち込めていたので成長を実感できたのでよし。
徳永くんは強すぎますね。心から尊敬します。
その後二軍戦に参加しました。3人1組で参加する団体戦なのですが、先輩たちと一緒にB級に参加。二軍戦は参加チームが多いため、持ち時間も短く、対局数も多いです。一軍戦は多くても1日3,4局なのですが、二軍戦は1日に倍の6局ほど。さすがに疲れる。しかし、先輩の一人は10勝1敗、僕が9勝1敗(1不戦敗)と好成績を収め、B級で準優勝することができました大学に入って初めて将棋に自信を持てました。すごく嬉しかったなぁ。あ、ちなみに1不戦敗はTOEICで遅れたのでご容赦を・・・。(ちなみに遅れて向かう途中に某N氏と遭遇したのですが、彼はただの遅刻でした。なにしてんねん。)入賞景品の図書カードを手にし、いい気分で二軍戦の幕は閉じました。
さてまだまだ書きたいことはあるのですが、きりがないので一区切り。
続きは1週間以内に投稿します。
全然最初で最後じゃなかった。許してください。
続く・・・